独白するユニバーサル横メルカトル

死体は週に一回の割合で運び込まれてきた。
俺はその都度、奴らを解体し、生で使用する部分とシチューやカレーにする部分とに分けていった。生食するのは肉に残っているミネラルなどを補給するためだという。内臓は特に指示がない限りはディスポーザーに捨てた。
オメガの食欲は凄まじく、人間ひとりをほぼ三日で食い尽くした。

「通常、大人ひとりで一ヶ月分の食糧になると言われているそうだ」

(『Ω の聖餐』)

「好きなアイドルはいますか?」という質問に、どうしても「平山夢明」と答えたくなってしまう。もちろん、求められている答えと違うのは分かっているし、変化球的な回答をして関心を惹こうとかあまり思わないタイプなので「いやー、あまりそういうの詳しくなくて」で会話が終わる。大好きな作家とか、尊敬する作家とか、バーで一緒に飲んでみたい作家とか、それぞれたくさんいるけれど、私にとってのアイドルである作家はやはり平山夢明さんだけで、多分実際にお目に掛かったりしたら本気でキャーキャー言ったり、サインをねだってしまいそうなので、共通の知り合いは結構いるようなのだけど敢えて出没されているところには近づかないようにしているのです。

平山夢明さんが好きになった理由は(ちなみに平山夢明はご本名だそう。萩尾望都ぐらいびっくり!)もちろん作品がただただ素晴らしいということもあるのだけど、『東京ガベージコレクション』というご自身がメインパーソナリティーを務められたラジオ番組で、レギュラーゲストの京極夏彦さんとの掛け合いというかじゃれ合いが面白く、話が上手いとはこういうことだろうなと思わせるような尾びれも足ひれも付けたうえに金モールや電飾まで巻いてしまったような日々のエピソード(というかまあ言ってしまえばホラ話)が抱腹絶倒で、それを嬉しそうに語っている様子がもうクラクラするぐらいにキュートでノックアウトされてしまったのです。

『独白するユニバーサル横メルカトル』は2007年度の「このミステリーがすごい!」通称「このミス」の第一位を、そして2006年度日本推理作家協会賞受賞作でもあります。が、面白いのは、7編の短編はどれもミステリーではなければ推理小説でもないということ。では何かというと、人間の狡さや弱さや痛みなどをテーマにした、グロテスクで救いのない物語です。楽して儲けようとして地獄を見る、みたいなダメ人間や、シリアルキラーや、血も涙もないヤクザなど、そんな登場人物を好んで書く作家ですが、一番恐いのは、レイプでも、殺人でも、拷問のシーンでもなく、普通の人が見せる無関心や冷淡さだったりして、そんなところに平山夢明ならではのひねくれたヒューマニズムが垣間見える気がします。そう、このツンデレ感こそ、平山夢明を偶像化したくなるポイントなのです! もう一回書いてしまうけれど、どの物語もグロくて、とにかく悲惨なことばかり起こります。少年はイジメに遭っているし、母親は宗教に狂っているし、少女は犯されそうになるし、死体は食べられたりします。そんな物語にも関わらず、全編に渡ってどこか暖かい「優しさ」を感じさせるのです。いや、本当に。(ちなみに『他人事』という短編集も素晴らしいのですが、これでもかというぐらいに鬱な話が続き気分が悪くなります。)なぜ幸せな毎日を送っているのに、わざわざ嫌な気持ちになる物語を読まなければならないのか、ホラーや残酷な物語はできるだけ避けたい、という考えの方も多いかと思います。ただ、普通の生活では絶対に味わえない(味わわないものであって欲しい)心のざわつきや痛みは、また違った世界の見方を教えてくれたりするのではないなか、と思ったり。

ラジオなどを聞いていると、真面目にやっている自分がくすぐったくなってしまうというか、すぐに自分自身のことを茶化したくなるようなタイプなのかなと思いますが、ただ物凄い才能と世界を見つめる真摯な目を持った、私の中では日本で一番ぐらいの作家なのでもっと作品書いてもらいたいな、と勝手に思っております。ああ、大好き。ちなみに、この作品集に収録された『無垢の祈り』という小説が実写版になり、渋谷UPLINK でただ今公開中だそう。私は観に行きます。

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