内容があまりにもモラルに反すると300,000ドル(当時で4千万ぐらい)の契約金が前払いされていたにも関わらずSimon and Schuster が出版をキャンセル、『女の拷問とバラし方入門書』と作品を揶揄したフェミニスト団体がボイコットを呼びかけ、どうにか出版されたものの名だたる批評家から『低俗』やら『病的』やら『とにかく最低最悪』と非難轟々!という、最高のパブリシティーと共に本書『アメリカン・サイコ』が世に出たのが1991年のこと。四半世紀経った現在、ふと気になって読み返してみたらまるで色褪せていないわけです。
パトリック・ベイトマン(会話の端にさりげなくリファレンスとして挟むとカッコいいので暗記しよう!)はウォール・ストリートで働く元祖メトロセクシャルなエリートサラリーマンなのだけど、実際は親の七光りでまるで仕事らしいことはせずに、高級レストランで洒落た料理に舌鼓を打ち、美しい婚約者とハンプトンで優雅な休暇を過ごし、おしゃれなラウンジのVIPルームで男友達やモデルたちと酒を飲む傍ら、お気に入りのテレビ番組を観たり、ジムで汗を流したり、3Pした売春婦たちを斧でぶった切ってぐちゃぐちゃにしたり、と悠々自適の毎日を送っているのです。そう、プロットらしいプロットはなく、80年代のニューヨークのヤッピー生活に於けるとりとめのないエピソードがだらだらと続き、途中で脈略もなくホイットニー・ヒューストンの音楽や最新のオーディオ機材についての解説が入り(しかも一章丸ごと)、それと同じような淡々とした調子でひどく残虐な殺人行為が繰り広げられるのです。表層的な生活を送るヤッピーの退廃的でありながらも華やかな生活と連続殺人犯としての生活がシームレスに継ぎ目なく語られていく狂気がとにかく馬鹿げていて面白く、的確に現代社会の本質をえぐっています。(この辺はブレット・イーストン・エリスの十八番的なところですね。)
ホームレスに暴力を振るったり、労働者階級の人々を見下して嫌がらせをし、そもそも何の罪のない女性を快楽だけの目的で殺して食べちゃったり、とにかく最悪なヤツにも関わらずどこか憎めないベイトマン。(ちなみにベイトマンがほとんど神のように崇めているのが、ドナルド・トランプなのです。アメリカン・サイコのアイドルが大統領候補とは、すごい時代が来たものです。)仲間に「俺は狂っている」とか「女をバラしたい」と訴えるのですが、まるで真面目に取り合ってもらえずにスルーされてしまうわけです。要は、ベイトマンはヤッピーのイメージ以外の何者にもなれないワケですね。何を着ているかというブランド名がひたすら羅列されるだけの人物描写は、ベイトマンの狂気が象徴的に表現されているのですが、考えてみたらそれはモード系ファッション誌そのままなワケで、そういえば某モード雑誌のFacebookのフィードを読んでいたら、『アラフォー女性の決意:ジミーやエディとのデートを大切にしたいから、私はシングルというライフ・スタイルを選びました』みたいな記事が流れて来て、人様の価値観をどうこういうつもりはないけど、あー、まあ、いい感じに狂ってんなーと少し切ないような気持ちになって、物質社会の空虚さとか、すべてが記号になってしまったスーパーフィシャルな現代社会への批判なんかは長くなるので置いとくけど、いわゆる『予約が取れない』人気レストランに行こうと奮闘したり、二件目にどこのラウンジを選ぶかで悩んだり、使い慣れない整髪料のせいで髪が乱れてイライラしたりなど、ベイトマンの苦悩は、2015年の東京に住むおしゃれな皆さんも思わず共感してしまうのではないでしょうか? この本を読むことで、そんな当たり前になっている毎日をふと振り返り、何か正常で何が狂っているのかを改めて検討する良い機会にもなるんじゃないかと思ったり。(余談ですが、最近の『東京カレンダー』の連載記事は同一の狂気を感じさせます。)
それにしても、ファッション業界で働くモード系のアラフォー女性を主人公にした『ジャパニーズ・サイコ』を誰か書いてくれ。(でも映画版は主人公を若くして菜々緒主演がいいと思います。デートでもはや終わった has been なレストラン、TWO ROOMSとかかな、に連れて行かれ、怒りのあまり殺人とか。 )
とにかくツッコミ所満載な抱腹絶倒間違いなしな物語、おススメです!
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