ロリータ

“Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. She was Lo, plain Lo, in the morning, standing four feet ten in one sock. She was Lola in slacks. She was Dolly at school. She was Dolores on the dotted line. But in my arms she was always Lolita."

「ロリータ、わが生命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩進んで、三歩目に軽く歯にあたる。ロ。リー。タ。朝、ソックスを片方だけはきかけて立つ四フィート十インチの彼女はロだ。ただのロだ。スラックスをはくとローラだ。学校ではドリーだ。しかし、わたしの胸に抱かれるときの彼女はいつもロリータだ。」(大久保 康雄訳 )


もう冒頭から圧巻の素晴らしさ。なにこの頭韻の踏み方? 舌が口蓋を二回飛び跳ねて、歯の裏を叩く、この完璧にコントロールされた官能の表現! もうここにすべての小説の主題が集約されているといっても過言じゃないでしょう。これぞ芸術の力!

多分、最初に読んだのが16歳、で、大学の課題で22歳ぐらいにもう一度読み、で、多分28歳ぐらいでなんとなく再読して、そしてなんとなくナボコフを全部読もうと思い立った今が36歳。ロリータに近い歳からいつの間にかにハンバートの歳に近くなっているというのは置いといて、やはり大人じゃないと完全にはアプリシエイト出来ない本だなと思いました。色々な読み方があるにしろ、やはり『ロリータ=若さの象徴』であって、失われたあとじゃないと価値が分からないものなのですね。

ロリータ・コンプレックス(ロリコン)という言葉の元になった小説というのは、言わなくていいかなと思いますが、Tokyo Wise に書いたエッセイの一番のリアクションが「村上春樹読んだことない」というショッキングな現実に直面した今、一応確認しておきます。ストーリーをざっくり説明すると、ハンバート・ハンバートというバツイチの40歳ぐらいのオジサンが下宿先の家のオーナーである寡婦と結婚するのですが、その目的はなんと彼女の12歳の娘、ドロレス・ヘイズ(ロリータ)に近づくためなのです。その奥さんが交通事故で命を落としたことから、上手い具合にロリータとの全米横断、愛の逃避行が始まるのです。が、今風に言うと、誘拐&連れ回しというやつで、一人称なので都合よく書かれていますが、脅したり、懇願したり、お金で買収したり、寂しさにつけこんだりして少女を犯していて、冷静に考えるとドン引き。アメリカでは出版できずパリのオリンピア・プレス(ちなみに私が一番愛する出版社の一つです)から刊行されています。が、とにかく「わー、なにこの作品! 反モラル的! ワイセツ! 発禁!」と言わせないのが、ナボコフの文筆の力。またロリータというキャラクターもよくよく読むと、見た目はかわいいけどものすごく凡庸で俗悪なホワイト・トラッシュ(現代の日本でリメイクするなら茨木とか栃木出身のヤンキー風な女の子を主演させると原作に忠実なのでは)なのですが、永遠のニンフエットに昇華されている。そう、この作品は社会的モラルに対する芸術の挑戦状であり、文学の勝利宣言であるわけです。

チラチラと揺れる木漏れ日とか、ロリータがテニスをしているシーンとか、ハイウェイ沿いのアメリカの風景とか、背筋がぞくぞくするほど美しく、またハンバートとロリータの掛け合いなんかは思わず声を出して笑ってしまうほど馬鹿げていてオゲレツで面白いのですが、同時に狂わしいほど切ないのです。その例をいくつかここに引用しようかと思って線を引いておいたのですがそこだけ読んでももったいないような気がするし、それぐらいは独り占めしたいのでやめておきます。

「内容そのものは下卑ていて不快なものであっても、その表現は芸術的に抑制が利き調和しているのだ。これこそ文体というものなのである。これこそ芸術なのだ。小説で大事なことは、これを措いてほかにない」(『ナボコフの文学講義』)とナボコフはフロベールのマダム・ボヴァリーを評して言っていますが、要するに同じことをしています。同じことができているのです。ナボコフの生まれ持った才能と研究者ならではの努力はもちろん、小説的なものに対する純粋な愛と情熱なしには達せ得なかっただろう高みに達しているのではないでしょうか?

偉大な小説作品ってそんなにないけれど、間違いなくこの本はその中の一冊なので、何か読みたいなという方は、書店で平積みになっている凡庸なベストセラーの代わりに是非手に取ってみてはいかがでしょうか?

おまけ:

『ロリータ、私の生命の光、下半身の炎。私の罪、私の魂。ロ、リー、タ。舌の先が三歩進んで口蓋を軽く叩き、三歩目に歯をなぞる。ロ。リー。タ。朝、ソックスを片方だけ履きかけて立つ四フィート十インチの彼女はローだ。ただのロー。ズボンを履くとローラだ。学校ではドリーだ。署名欄ではドロレス。しかし、私の腕の中ではいつでもロリータだった。』(拙訳)

はい、完全に大久保訳に引きずられています。わが肉のほむら、とか絶対出てこない言葉だよな。すごいよな。って、多分、翻訳ってナボコフが日本語で書いていたらこの言葉使っただろうとかもちゃんと考えてされるべきだと思うのですよ。だから、loins は腰ではないと思うの、って若島訳の話です。下半身もひどいけどね。(新訳版、ちらっと読んだけれどあまりピンと来なかった。でも表紙は圧倒的に新しい方がかわいいです。)


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