雪沼とその周辺

堀江敏行がいい、とジラールに薦められて読み始めて、すぐに「ああ、苦手だ」とほったらかしていて、それから引っ越しをするので本を詰めていた時、これ置いていったら一生読まないなとダンボール箱に最後の最後に詰め込んで、そんな理由で一番取り出しやすいところにあった本を散らかった部屋の中で読み出したら、なんとなくスッと入って来たというのはどうでもいい話。

最初、タイトルを聞いた時、てっきり雪沼くんなり雪沼さんをめぐる冒険的な話だと思ったのだけど、これは雪沼という架空の町の話。スキー場があって、地盤が悪そうで、よく増水して、そしてひとくせもふたくせもある人たちを引き寄せる力を持った場所なのです。そして、そのひとくせもふたくせもある人たちがどんな人かというと、根はいい人なんだけど、プライドの高さとナイーブさが邪魔をして、そう簡単に心を開いてくれなさそうなタイプで、いい道具とか、いい食器とか、ライフスタイル・トレンド全盛期の今となってはそんなに特別じゃないのかも知れないけれど、ほんの数年前までは結構稀だった丁寧な暮らしをしている感じの、雑誌でいうとリニューアルする前のリンネルっていうか、まさにフランス製のリネンのランチョンマットとかティータオルとか使ってそうな登場人物もいて……。で、なんで最初にこの本がダメかと思ったかというと、私はそういうタイプの人にことごとく嫌われるからなのです。外苑前のレストランのご夫婦も、西荻の陶器屋さんのご主人も、井の頭公園のコーヒー屋さんの奥さんも、なんとなくこの人この場所好きそうだな、と連れて行った友人とは一瞬で仲良くなっているものの、何年も通っている私にはなんとも余所余所しく、会話のあとにぎこちない空気が流れる。この人、苦手だな、と思われているのが目の奥に見える。

と、話がかなり逸れましたが、小説の話に戻ると、「雪沼とその周辺」はまさにそのタイトル通りの場所で起きる、緩く繋がった七つの短編で、それぞれの登場人物の過去を掘り下げながら、このちいさな田舎町で起きる事件を淡々とした筆致で丁寧に描き出しているのです。そんな事件とは、ボーリング場の廃業であったり、お料理教室の先生の死であったり、大嫌いな麺を食べた相良さんのワイシャツに出来てしまったシミであったりと深刻なものから些細なことまで様々。少し色褪せた感じというか、風化しているというか、苛烈さを失った感情が、それでも生々しさのある生活と絶妙なコントラストを見せていて、そのバランス感覚がこの小説を唯一無二にしているような気がする。死があってもそこに慟哭はないし、魅かれあう二人がいても性的なヌメリはない、それでもやっぱり生きること独特の生臭さがある。そしてグレイス・ペイリーの本よりも強く激しい力と共に「最後の瞬間のすごく大きな変化」が訪れ、エピファニーの爽快感というよりもドンっと後ろから突き飛ばされたような衝撃をもって物語は終わり、そして読者は雪沼から現実に引き戻されるのだけど、もう周りの世界は完全に異化されて前と同じようには見えないのです。

これぞ小説!

で、本とおなじぐらい素晴らしいのが池澤夏樹さんによる解説なのだけど、興味深かったのはこの一節。

日本の地名で「雪」を冠したところは稀だ。県名にも大きな都市の名にもない。本来「雪」は地名に選ばれる語ではないらしい。山や川、田や野や谷などの地形を示す言葉と違って、雨や風などの自然現象は地名になりにくい(たぶん同じ理由から姓に使われることも少ない)。

だから、町の名前だと分からなかった私の反応はある意味日本人の感覚として正しくて、それでも本を読んだ後にはもう心の中に雪沼が存在していて、これからもふとした瞬間に立ち戻ったりするんじゃないかと思う。そして、私と合い入れてくれないS君の陶芸家の奥さんや、高円寺の古本屋のおじさんや、恵比寿のカレー屋さんのご夫婦を、こっそり「雪沼系」とカテゴライズしようと思うのです。そして、嫌がられてはいるものの、私は「雪沼系」の人が好きなので、これからも違和感を楽しみながら一方通行な愛を注ぎたいと密かに心に誓うのです。


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