宇治拾遺物語

町田康といえば、犬。バンドの犬。犬といえば、昔、町田康はステージ上でよく◯を殺してたという噂話を年上の友人から聞き、ああ、なんかそういうタイプの人間心から嫌だなあと悍ましく思っていて、今村夏子の『こちらあみ子』の受賞会見の時も ↓ のようなやりとりがあったらしく

米:受賞会見がネット中継されていて、記者が「特異なケースの人の話で自分たちとは関係ないと思う人もいるのではないか」というすごい質問をして。
千:ええっ。
米:選考委員代表の町田康さんが「こわれたトランシーバーで交信しようとする姿はまさにぼくたちの姿じゃないのですかッ!?」って答えていて、読んだ時の気持ちを思い出してジーンとした。


って、この発言とかもなんだかとてもピントがずれているというかトンチンカンなような気がして(そういう分かりやすい「『人間失格』は俺のために書かれたんだ」的感傷というか感情移入を巧みに操っているのが今村夏子の天才なのであり)、だからやっぱり◯にあんなことができたんだ、なんてどうしても◯に帰結してしまい、『夫婦茶碗』とか『告白』とか『くっすん大黒』とか読んだけどやっぱり◯が頭に浮かんでしまい(イメージは色川武大の『僕の犬、僕の猿』)、まあとにかく私には良さが理解できない作家の一人だったのです。

が、この本に関していうと町田康の現代語訳が圧巻で、疾走感のある文章と共にストーリーテリングの本質をえぐり、古典を読むことに新しい意味を与えていて、もうこの人、この訳をするためにこの世に生を受けて来たのではないかと思うぐらいに素晴らしいのです。◯が浮かばなかった! また、物語自体も放屁、千摺り、チンコ外し(!)と、悪ふざけたっぷりな奇想天外な物語はとにかく爆笑の連続。私たちの御先祖様たちは、こんな話をしながらクスクス笑い合っていたんだなと思うと、日本人であることがなんとも愛おしく感じられるはず。本当に、なんでこういうの古典の授業で取り上げてくれなかったんだろうと憤りなんかも感じてしまったり。

で、このブログを書くために「町田康 犬 ◯殺し」で検索してみたのだけど、出てくるのは町田先生がニコニコしながら◯に囲まれている写真やら、動物愛護のシンポジュームに登壇なさった記録やら、◯殺しどころか愛◯家代表のようになっているではないですか! まさかそんな方が昔はパフォーマンスとして◯を殺していたなんてありえないはず。となると、私の今までの嫌悪感はなんだったんだと、まるで三島由紀夫の『豊饒の海』四部作を読み終えた時のように狐につままれたような気持ちで取り残される夏の終わりなのです。って、なんだか頭おかしい人の勝手な中傷みたいになってないといいけど。噂を信じちゃいけないね。



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