むずかしい愛

カルヴィーノのリアリズム路線短編集。まず目に留まるのが各編のタイトル。「ある兵士の冒険」から始まる12篇はすべて「ある○○の冒険」で統一されている。しかし、冒険と呼べそうな出来事はいっさい起こらない。徹頭徹尾ささいな日常の一場面にだけスポットを当てつづけている。だから「ある海水浴客の冒険」を内容に合わせれば「ある海水浴客の海水浴」になるだろうし、「ある旅行者の冒険」は「ある旅行者の旅行」、「ある読者の冒険」は「ある読者の読書」でいいかもしれない。

たとえば「ある兵士の冒険」は、列車で隣に座った婦人にたいして「あれ?いっぱい席空いてるのになんでわざわざ隣に?」という深読みから興味を抱いた主人公が、だんだんと体の接触面積を広げていくだけの話だし、「ある旅行者の冒険」は、これも列車内が舞台で、コンパートメントでの長時間移動をいかに快適に過ごすかという、『ダンドリくん』さながらのどうでもいいポリシー、人に教えるほどでもないハウツーがページの大部分を占めている。

また、平凡な会社員が人妻との一夜限りのアヴァンチュールを経験する「ある会社員の冒険」にしても、ストーリーが始まるのはその情事のあと、朝帰りの場面からであり、家に帰らずそのまま出社した主人公が「こうして今、諸君のオフィスで、諸君に囲まれて動き回っているように、ぼくは彼女のベッドで何度も寝返りを打ったのだ、今なんて無に等しいものさ」と考えてみたりする、そんな話である。

つまり、いわゆる「冒険」と呼べそうな出来事はあえて遠ざけて、そのうえでこのタイトルなのだ。飛躍気味に断言すると、これらの短編で展開するのは「文学の冒険」であり、タイトルを真似るなら「ある文学者の冒険」なのである。「国書刊行会のシリーズ名じゃあるまいし、テキトーなこと言ってんじゃねえ」という声も聞こえてきそうだし、上記のような粗筋だけ読むと「そういうタイプの書く人って日本にもいるよね、マンガでも読んだことある気がするし」とか思う人もいるかもしれない。しかし、そういうのとは格が違うし、なにより品がある。具体的にどこが?と訊かれると僕はうまく答えられないのだが、一編読み終わるごとに(冒険ではないとさんざん言いながら)「つぎはいったいどんな『冒険』が待ち構えているんだろう」とワクワクしてしまうこの不思議な魅力をほかの類似品から得ることはできない。

訳者解説にある「愛を語ることは、その不在を語ることからしかはじめられない、というより、不在を語ることこそが愛を語る唯一の方法だということなのかもしれない」という一文中の「愛」を「冒険」に置き換えることもできるはずで、愛もしくは冒険をすでに知られたなにかだとみなす精神にそれは訪れない。運よく訪れたとしても、訪れたなにかがほんとうにそれであるかどうかをその精神は知ることはできない。あるかないかわからない冒険(もしくは愛)の影をつかむために必要とされるのは自覚的な無知であり(これを文学と呼んでもいい)、そのような無知が経験する冒険はいわゆる「冒険」と似たものではないだろう。

「愛=冒険=文学」の面白さとむずかしさを教えてくれるのが『むずかしい愛』である。

(文: ジラール・ミチアキ)

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