菜食主義者

ハン・ガンに夢中だ。

人にはあまり言わないけれど、私の中の大きな小説の良し悪しの判断基準は、自分で書けそうか、書けそうかじゃないか、というもの。

「これは書けそうだな」、というものもあれば、「これは無理だけど書けそう」とか、「書けなさそうだけどもしかしたら書けそうとか」、めんどくさい自分の中の基準が色々とあるのです(書けないくせに)。そして、『菜食主義者』。珍しく出ました、「絶対書けない!」

そういえば、昔、もうどうでもいいやとヤケッパチのように付き合っていた人がいて、その人と食事をしていた時、私が何だったかは忘れてしまったのだけど何かに対して「絶対そうだ」と言ったら、「絶対なんて絶対ないんだ」と突然キレられ、それからズルズルと喧嘩になり、それが最後のデートになったなんてことがあった。

なんて話が逸れてしまったが、『菜食主義者』、とにかくよかった。ざっくりどんな話かというと、ある日を境にベジタリアンになってしまったヨンヘをめぐり起こる三年間の出来事を、彼女の夫、義兄、そして実姉の視点から描いた物語。一章を読んだ時、ああ、こんな感じのストーリーラインかな、という予想と全く違った怒涛の展開に、正直度肝を抜かれた。ハン・ガンの冷徹な視線と、詩人としての天賦の才で、経験したことのないような、奇妙で、暴力的で、鮮明な世界にどっぷりと浸っている自分がいた。呼吸が苦しくなるぐらい、性的な興奮を覚えた。えぐられるような痛みを感じながらも、読みやめられなかった。

「慰めや情け容赦もなく、引き裂かれたまま最後まで、目を見開いて底まで降りていきたかった」という気持ちで書かれたこの物語のエンディング、主人公の一人である「彼女」の目に浮かんだ希望、失われることのない生きる意思に、なぜハン・ガンが失われた時勢である中動態、強制はないが自発的でもなく、「自発的ではないが同意している時を表す時勢」(*) を一つのテーマにした小説である『ギリシャ語の時間』を書かねばならなかったのか、理解できたような気がした。

生きるということの残酷さ。それでも生きようとしてしまう、人間の性。ジレンマを究極的な対比の中に描くのが上手い作家なのですな。この世に生まれてきてこれを読まないのはもったいない! というぐらいの名作。絶対後悔させません。って、絶対はないのか。でも、あの時、「絶対は絶対ない」と言われた時、「絶対に?」って言い返すことを時々、通勤電車の中とかで妄想している自分がいたりします。

今年ももう半分終わりですね。

(*)國分功一郎『中動態の世界』より

にしてもこの装丁素敵すぎる。アートディレクターは、寄藤文平さんとのこと。

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