あひる

今村夏子の二冊目の単行本『あひる』には、表題作と書き下ろしの二篇が収録されています。芥川賞にノミネートされた「あひる」の初出は、福岡の文芸誌「たべるのがおそい」の創刊号で、五大文芸誌以外からの同賞候補ということでも話題でした。残念ながら受賞は逃しましたが(受賞作は村田沙耶香「コンビニ人間」)、今村夏子のカムバック自体を喜んだ本好きも多かったはずです。

2010年に太宰治賞を受賞し、受賞作を改題した「こちらあみ子」と新作「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で三島由紀夫賞を受賞した今村夏子は、それ以降沈黙を守っていました。「こちらあみ子」も不思議な魅力をたたえた名作ですが、何食わぬ顔で繰り出される「ピクニック」のユーモアが強烈で、見慣れない昆虫が視界の外から急に飛んできたような新鮮な驚きが忘れられません。そして、待ちに待った『あひる』は、期待にたがわぬ面白さでした。ことに表題作。

主人公の女性は、実家で両親と暮らしながら、医療系の資格を取得するべく勉強に励んでいます。そこに、とある事情でのりたまという名の一羽のあひるがもらわれてくる。あひるは近所の子どもたちの人気者となり、主人公一家の生活にも変化が訪れます。簡単にいえば、そういうお話しです。舞台はごく日常的な範囲に限られます。文体も平易で、余計な文飾はない。しかし、このざわつきの印象はなんでしょうか。平穏かつ不穏、といった矛盾した形容がつい浮かびます。

わりと最初のほうにこんな一文があります。〈食事中の話題は、のりたまに会いにくる子供たちに関することばかりになった。元々、わたしたち三人の食事時には話題というものがなかった。あっても、宗教関係のことを母が父にぼそっと伝えて、父がそれに小さくうなずいておしまいだった〉。宗教関係? なんのことでしょうか。この話題、ほかにはほとんど出てこないのですが、わたしはすぐ新興宗教だと思いました。直後には、今は家を出た弟がかつてぐれていたことが語られています。これもそうは書いていませんが、家族への暴力もふくむ息子の不良化が、両親を新興宗教に走らせたのかもしれません。

書きすぎないという引き算の美学が静かに不安を醸成していきます。そしてそれは、語り手である主人公の立場や関心のかたちとも連動しています。〈わたしはまだ仕事をしたことがない〉ので、主人公はいわばおとなと子どもの中間にいます(この語りの率直さといったら!)。また、資格を得て職に就けば家を出るかもしれませんから、いながらにして半分は地域から外れているともいえます。このような主人公のスタンスを暗示しているのが、普段勉強に使っている〈二階〉という空間です。あひるに会いにきた男の子が二階の窓を指して「人がいる」と驚く微笑ましいシーンで、私たちはそのことに気づかされます(ちなみに、この同じ箇所を「ゾッとするシーン」だとする感想を聞いたこともあります)。子どもたちのお誕生日会の悲しみ、同じ日の夜の恐怖とその(中途半端な)溶解、そしていくつもの笑い、長めの短編といっていいくらいの作品のなかで、読者はいろいろな感情を抱きます。どれも翻弄されるというほど強くはありませんが、ずっとなにか落ち着かないかんじです。主人公の曖昧な立場と、つかず離れずの淡白な語りがそれを煽っているようです。

肝心のあひるについてほとんど触れていませんでしたが、もちろん重要なモチーフです。かわいいペットとして愛されているのは確かなのですが、そう単純でもない。〈(あひるが)なかなか小屋へ入ろうとしないので、父が餌を撒いて誘導しようとした〉という場面がありますが、このあひるこそが子どもたちを家へおびき寄せる餌なのです。愛情の対象であり、その手段でもある。あひるが受ける取り扱いにはそんな奇妙さがあります。

テレビゲームなどで、ゲームオーバーになったあとコンティニューするかどうか尋ねる画面が出てきて、時間内に操作しないと続きができなくなってしまいます。あひるは、そのように死にます。未読の人にはうまく伝わらないでしょうが、悲しみと可笑しみがないまぜになった、なんともいえない展開です。この味わい、ぜひじかに堪能してください。

(文:ジラール・ミチアキ)

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