すべての見えない光
「本を読む意味なんてないんだよ」と、ちょっとカッコつけた感じで言ってきた人がいて、もちろん私は「そうなんですか」なんて言いながら愛想笑いをしていたけど、心の中では「ああ、こいつダサいな」と心底うんざりしながら思っていた。人が情熱を持ってしていることを意味がない、と言ってしまう時点でどうかと思うし、それに意味がないと決め付けられるほど、お前は本を読んでいるのかと問いただしたかった。もちろん、そんなこと、しないけど。
孤児院で育ったドイツ人少年ヴェルナーは、明晰な頭脳と科学の才能を買われて国家政治教育学校に入学、士官候補生としての過酷な訓練を受けた後、ナチスドイツ軍の兵士となる。一方、幼くして視力を失ったフランス人のマリー=ロールは、空襲が激しくなるパリからイギリス海峡に面した北西部ブルターニュ地方の城壁に囲まれた港町サン・マロに父親と共に疎開する。物語は戦争に翻弄される二人の人生を交互に行き来しながら進行し、持つ者には永遠の命を、その周りのものには不幸を与えると言われる伝説のダイヤモンド<炎の海>を巡り展開、そして二人が会遇するある瞬間へと集約していく。間違いなく今世紀書かれた小説ベスト100選なんかに入って、後世まで読み継がれていくだろうなという名作。まず素晴らしいのが、ドーアの十八番とも言える、まばゆく輝くような美しい筆致。そしてその筆致だからこそ描くことのできるテーマです。
僕は昔から、大学の学問で科学と芸術を分けてしまうことに疑問を感じていました。今までに書いた五冊の本はどれも、そのふたつを結びつける方法を模索するものです。マリー=ロールだけでなく、ヴェルナーを描くときも、僕は世界のこんなところに魅了されているんだよ、と言おうとしています。物語を通じて、他の人たちにもそれと同じ思いを持ってもらえたらと思っています。
そのドーアを魅了する「こんなところ」は、ともすると目に見えないのです。よくよく考えれば驚異以外の何物でもないのに、多くの人にとって当たり前になっていて、物理的に見えていても見えないもの。ドーアは私たちを取り巻く自然の驚異を鮮やかに描き出します。
タイトルからも分かるように、この小説の大きなテーマは「見えない」こと。目が見えないマリー=ロールの想像力に満ち溢れた豊かな世界や、「生まれつきのやさしさで輝くような」魂を持つヴェルナーの見えないものを純粋な謎として見る繊細な感性に触れるにつれ、目に見えることばかりが大切にされる世の中で、私たちが見ていることはほんのわずかなことだと気付かされます。(もしかしたら、パソコンのモニターや、スマートフォンの中だけかもしれません。)この作品のエンディングがとても感動的なのは、「見えない」ものを見る力を、私たちが取り戻せた状態で読むから。実際、小説の世界なんてすべて「見えない」もの。でも、こんな素晴らしい小説を読んだ後には、自分というものを形成する何かが変わっている。そして考えてみたら、こんな風に、これを書いている私と、今読んでいるあなたの人生が交錯していることも、実はちょっとした奇跡なんだなんて思わせてくれる。
クレストブックで518ページという大作は、なんと執筆に10年も費やされたそう。そして、ここは声を大にして言いたいのですが、ウェルズ・タワーの『奪い尽くされ、焼き尽くされ』も手掛けた藤井光さんの訳もただただ素晴らしい。もう藤井光さんが毎日幸せに生きられるように祈りたいレベルに素晴らしいです。「本を読む意味なんてない」なんて思っている人には、是非とも読んでもらいたい素晴らしい作品。
ちなみに、失明するぐらいに本を読み続けると、読んだ人にしか分からない特殊な能力が付きます。私はそれが本を読む意味なんじゃないかなとぼんやりと考えています。
なにはともあれ読んで間違いのない作品。オススメです!
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