いなごの日/クール・ミリオン:ナサニエル・ウエスト傑作選

フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』が文庫で復刊した。うれしい。元は集英社から出ていたが、今度は新潮文庫。「村上柴田翻訳堂」というシリーズの一冊だ。ザラッとした質感のスカイブルーのカバーで統一されたこのシリーズは、全部で10タイトルあり、累計発行部数は20万部を超えているそう。そのラインナップの一冊が、『いなごの日/クール・ミリオン:ナサニエル・ウエスト傑作選』です。


ナサニエル・ウエストという作家、知ってました? ぼくは知らなかった。なので調べてみました。1903年生まれ、本名をネイサン・ワインスタインというアメリカのユダヤ系作家。集英社の『世界文学事典』によると、〈高校中退のまま、不正な手段でタフツ大学に入学するが中退。ついでブラウン大学にも不正入学して、1924年に卒業する〉と紹介されている。なんかすごい。只者ではない感が。で、三ヶ月のパリ遊学ののち、ホテルで働きながら第一作の『バルソー・スネルの夢の生』を執筆。その後、文芸誌編集の仕事と並行して第二作『孤独な娘』を書き上げ、1933年に刊行。1934年に第三作、1939年に第四作を発表。その翌年、交通事故により37歳で夭逝する。つまり30年代に発表された四作がウエストの長編のすべてということになる。本書は、その四作のうちの二作をカップリングしている。お得感あり。掲載順に紹介していきます。


最後の作品となった『いなごの日』の舞台はハリウッド。といっても出てくる映画人はいずれもその末端に引っかかっている程度の貧乏人ばかり。主人公トッドは美学校を出たての美術見習いで、彼が好意を寄せるフェイは女優志望。いつもおそろしくケンカ腰の〈小人〉エイブや、複雑で華麗なチックを操るホーマーなど、映画界とは無関係の登場人物もいるが、ホーマーの借家に置いてある〈ペンキを塗っていない松に見えるようにペンキを塗った〉タンスのように、どのみち彼らもウソとホントが背中合わせの虚飾の都市の生活者です。とくべつドラマチックな出来事は起こらない。半分以上メッキの剥げたようなグロテスクな煌びやかさと出所不明なのに切実な熱量に満ちた彼らの日常が、鋭い筆致で活写されていく。作中でトッドが「燃えるロサンゼルス」に描き出そうとした世界の小説版がこの作品なのかも。



 第三作『クール・ミリオン』では反対に、物語がどんどんと転がっていきます。少年ピトキンが成功を求めてニューヨークを目指すが、出会う人物のみながみな、少年の人生に重大な進路の変更をもたらす。ずいぶんとご都合主義的な偶然が重なるなと感じるが、実はこれ、『ぼろ着のディック』などの少年小説で人気を博したホレイショー・アルジャーのパロディなのだそう。アメリカン・ドリームを体現するアルジャーの主人公とは対照的に、われらがピトキンは……。ああ!  読み進めれば、「レミュエル・ピトキンの解体」という副題の示すおぞましさに気がつくはず。ブラック。


まったくタイプの違う長編二作、いずれも読み応えがあるけど、収録作はこれだけではない。生前は出版の機会に恵まれなかった短編群から厳選した二編も収められている。シュルレアリストと交わったというパリ時代の経験を下敷きにしたと思われる「ペテン師」なんかけっこうおもしろい。〈芸術家はみんな狂っている(べき)〉という誤った信念がもたらす悲喜劇とでもいうか。

『素晴らしいアメリカ野球』は旧訳の復刊だが、本書は柴田元幸の新訳。「訳者あとがき」のあとには、シリーズ恒例、村上春樹×柴田元幸の「解説セッション」もあり、全体で500ページを超える。で、税抜750円。作品の内容もさることながら、この良心的なパッケージングも魅力。個人的にはこのシリーズ、10作で終わらせず、第2弾もやってほしい。

(文:ジラール・ミチアキ)

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