心に残る人々
「白洲正子」という人物を知ったのは、戦後史を調べていた時、夫の白洲次郎氏を
知ってから。維新を生き延びた薩摩の軍人樺山資紀を祖父に持ち、父は実業家で貴
族院議員という深窓の令嬢でありながら、当時の女性としては珍しく海外渡航経験
者で白洲次郎氏とは恋愛結婚。小林秀雄や青山二郎ら戦後日本を彩る文士たちとの
交流や、古典芸術への愛着と理解、美に対する独自の審美眼が確立されていた人と
知れば、そういった世界観にただ漠然と憧れを持つミーハーな自分が興味を抱くの
にそう時間はかからなかった。
本作は、昭和のとりわけ戦後を色濃く生きた芸術家・政治家などの各界著名人につ
いて語るエッセイである。「心に残る人々」として描かれているのは小林秀雄、梅
原龍三郎、青山二郎、井上八千代、浜田庄司、岡本太郎、勅使河原蒼風、正宗白鳥、
室生犀星などの文化人・芸術家から、祖父である樺山資紀、吉田茂、渋沢栄一など
の教科書掲載レベルの偉人まで網羅していて「白洲正子」という人のスケール感に
ため息。各界を第一線で活躍する方たちとのコミュニケーションの中、裏表なく真っ
直ぐに持論を展開する白洲正子節がなんとも清々しい。
特に印象的だったのは「勅使河原蒼風」と「井上八千代」の一編。
いけばな草月流創始者の勅使河原蒼風氏に対しては「草月流を芸術として全面的に
認めていないことは事実です」とピシャリ。オスカーワイルドの「芸術作品は常に
唯一だ。何一つ恒久的なものを作らない自然は常にくり返す」を引用し、草月流の
新しさを認めつつも、複製可能である点で芸術ではない、と続く。対する蒼風氏も
「花のことを知りたい」と切り出す著者に「あんたはなんでも知ってるくせに人が
悪い」とふわっとかわす。お稽古風景も一切見せない徹底ぶりで取材に行ったのに
非常に警戒されている。かといって二人の会話がギスギスしているわけでもない。
蒼風氏の類まれな社交性を讃えながらあくまでも草月流には一貫して著者は懐疑的
で、ハラハラしながらも知的な緊張感で読み進められた。
京舞井上流の「井上八千代」編では、著者自身がお能を幼い頃より習っていたこと
もあり、日本の芸道の「形」についての話や京都論について筆が冴えまくっている。
京都に生まれ育った人間として、京都の得体の知れない魅力と束縛性、それでも住
んでいる人間は京都以外に安住の地はないと言いきってしまう京都人あるあるへの
洞察が的を得ていて、思わず笑ってしまった。
その他にも「小林秀雄」「梅原龍三郎」ではそれぞれのモネ論が展開され、当時の
文化人の異なる印象派への捉え方が垣間見得て興味深い。
正子節がより際立っているのは、わざわざ「書く」ために訪問している場合が多く、
渋沢栄一などは、伝記を読んでいるようでさらさらと読み流してしまった。この本
では、書く側と書かれる側の対峙のシーンがなによりもおもしろい。相手がどんな
立場であれ本質を見定めようとする著者の気質にも凄みを感じ、この情報過多の世
の中で「本質を見抜く力」を自分も身につけたい、と改めて感じた。
さまざまな人とのコミュニケーションの中で著者の文化芸術に対する知識と価値観
が一貫していて、「芸術とは何か」と考えさせてくれる本。
文化芸術全般に興味がある方、一度読んでみてはいかがでしょう?
(文:森田茉美)
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