国宝
今年読んだ本、いや、近年読んだ本の中で自分史上ベスト3に入る一冊になったことは間違いない。『国宝』というストレートなタイトルとやたら熱を帯びた書店員絶賛の帯コメントに感化され読み進めていくうちに、すっかりこの作品の匂い立つ「色香」と「情熱」に魅了されていた。
物語は、東京オリンピックイヤーの1964年元旦、長崎からはじまる。任侠の一門に生まれた主人公、喜久雄が梨園の世界で役者となり、大阪・東京(ときどき京都)と舞台を変えながら、賞賛と罵倒・スキャンダルと浮き沈みの激しい芸能世界を色濃く経験しながらも、ただひたすらその身を芸道に捧げ、不世出の女形役者になるまでが描かれる大河小説である。
まず、読んですぐに「ございます」の文体に心地よい違和感を覚える。
その年の正月、長崎は珍しく大雪となり、濡れた石畳の坂道や晴れ着姿の初詣客の肩に積
もるのは、まるで舞台に舞う紙吹雪のような、それは見事なボタ雪でございました。
不思議なリズムで何かのお芝居を見ているかのような感覚に陥る。実際、著者の吉田修一氏は朝日新聞社の書評サイト「好書好日」のインタビューで主人公目線や神の目線であったり、いろんな文体を何度も試して一番しっくりきたのがこの「ございます」だったと語っている。これが見事に歌舞伎の世界観とピタッとはまり、読み手を作品世界へ誘う力のひとつとなっている。もちろん、歌舞伎をお題とした作品なので章ごとに異なる演目の描写があるのも楽しみのひとつ。歌舞伎は京都の南座で数回見た事がある程度でちっとも詳しくないけれど、本を読みながらすっかりご贔屓の演目ができてしまった。
たとえば、『鷺娘』。
雪原と化した舞台へ白無垢姿の喜久雄が一歩ごと何かを語るように出てまいります。その
美しさに息を呑んだ客たちは拍手も忘れ、物言わぬ白鷺の眼差しや羽ばたきに、まるで自分までが声を奪われたようになり、この雪景色のなか、舞台に立つ白鷺の体温だけが指先に伝わってくるようでございます。
そして、実際の舞台を見てみたい……!と身悶えしそうになったのが、喜久雄と同じ女形役者であり、10代の頃から共に修行に励んできた終生の友でライバルでもある俊介との共演『源氏物語』。女形役者であるふたりが日替わりで光源氏と藤壺の宮や空蝉の君などの女を演じる趣向とその作中の描写は、平安時代の典雅な薫りとともに役者の所作と息遣いまでが生々しく感じられ、読みながらもうっとりと陶酔……。
当代人気女形役者の演じ方の違いを観ることができて、観客は大いに満足だっただろう……、と現実世界でもないのに嫉妬すらしてしまう。もう、読み進めていくうちに自分が読んでいるのか、歌舞伎を見ているのか、舞台裏にいるのか、ちょっとわからなくなるような感覚にどんどんなっていったのが面白かった。最終章はその感覚が際立ってて、喜久雄が本の中から飛び出してきて演じてるんじゃないかとか思ったりして、現実世界と作品世界の境界が曖昧になってくる。
そして、この作品を通して感じたことは「色気」の正体。曖昧さ。
舞台裏というところには、妙な生々しさがございます。照明も届かぬこの場所は、ぼんや
りとした闇のなか、女形の役者たちからはまだ男の臭いが、逆に白粉を塗った立役はなぜか女っぽく見え、行き交う大道具や黒衣たちの足袋や雪駄の音が、まるで雪道のように檜の板に吸い込まれてまいります。そこはまるで男と女の、有音と無音の、現と幻の、そして生者と死者のあわいのような場所なのでございましょう。
ただの読書体験では終わらせてくれない、とんでもない作品。言い換えれば、本を読んでいるのに歌舞伎を観ている感覚になれる、実にお得です。
南座も11月にリニューアルした事だし、今年は顔見世、見にいきたいな。
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